RDAのバーバラ・ティレット氏講演会「Linked Open Dataによる書誌コントロール:Bibliographic Framework Initiativeのめざすもの」に参加してきました

 RDA、Linked Open Data、そして、BIBFRAME。「おらたち、熱いよね!」と迫ってくるかのようにこの3つの言葉が目によく飛び込んでくる今日この頃です。私も関心はありつつも、「今スイッチ切っているだけだからね」と言い訳しつつ、いつかやる気を出すであろう未来の自分をあてにしていたら、スイッチが入らないまま今日に至ってしまいました。「わかるやつだけわかればいい」といつまでも言っていられるのかわかりませんし、自分の興味を喚起するためにもRDA開発合同運営委員会議長のバーバラ・ティレット(Barbara Tillett)氏の10月6日の講演会(以下)に育児の合間をぬってヒットアンドアウェイ的に参加してきました。

 ティレット氏の講演内容をまとめるほどメモをとっていないので、今回は浅薄な感想を述べる程度にとどめておきます。講演の記録は同志社大学の紀要に掲載されるそうですので、そちらをご覧ください。
 ティレット氏の講演を聴いていて、つまるところ、RDAやBibliographic Framework Initiative (BIBFRAME) が目指すところは
 メタデータの各エレメントの独立性を高めて、エレメントレベルでユーザーが任意の形で再利用可能にする
ということなのかなと思いました。
  図書館がこれまでMARCにのせて作成してきたメタデータは紙のカード目録をそのまま電子に置き換えたものであり、それで完結してしまっている静的なものである。機械がメタデータ間の関係を理解できない。RDAやBIBFRAMEはその逆をしたいとであろうと。
  
 メタ情報をRDFで表現し、各エレメントにすべてURIなどの識別子を持たせて、メタデータ単位だけではなく、エレメント単位をリンクでつなげて関係を持たせる。もちろんその関係を機械が理解できるもので、ユーザーが望む形にメタデータを再利用可能にできる、という感じの。
 各エレメントに個別のURIなどの識別子を持たせてというところがポイントなのでしょうか。そういうのなしにメタデータをエレメントレベルに細分化してしまったら、「ぼっちゃん」というタイトルや「夏目漱石」という著者名もただの文字列の情報になってしまい、元に戻せませんし、他に流用してもそれはただのコピーカタロギングになってしまいます。一度ばらしたら再構築できない。
 BIBFRAMEというものに「フォーマット」ではなく、「フレームワーク」という言葉が使用されている理由が、これまでよく分かりませんでしたが、今回の講演で「メタデータフォーマット」が、エレメントを所定の形で固めたメタ情報のパッケージフォーマットであることを改めて認識しました。メタ情報を細分化可能にし、個々のエレメントレベルで再利用できるようにするというのが、BIBFRAMEの目指すところならば、たしかにそれはパッケージフォーマットではなく、枠組み、仕組みというもので、フレームワークという言葉が使用される理由もなんとなくそういうことで理解しました。ただし、この理解でよいならばフォーマットとフレームワークの境界線はかなり曖昧です。
 上のような理解でよいならば、シンプルな話であるように思えるのですが、RDAがFRAD(参考: 典拠データの機能要件(日本語訳)[PDF])とともにベースにしているという概念モデルのFRBR(参考: 書誌レコードの機能要件(日本語訳)[PDF])が分かりづらくしているような気がするなぁと思ったりもしまして(もっとも私はRDAもFRBRのドキュメントも読んでないので、言うなという話ではあります)。これまで作成してきたMARCデータの資産を生かすという要件がなければ、本質的に必要な概念モデルなのだろうかと思ったりもしまして。
  
 WebにはRDFa、Microdata、Microformatsというコンテンツに埋め込むメタデータフォーマットがあります(そして、RDFaやMicrodataを活用するschema.org)。W3Cの人などのこういうのを作った人たちは、メタデータが細分化され、コンテンツ内に偏在していく状況を目指しているのだと思いますが、仮にそういうことが状況になったったとして、RDAやBIBFRAMEのメタ情報もエレメントレベルに分解されてコンテンツ内に偏在されていくのでしょうか。