アクセシビリティの祭典2018に参加したので、ふりかえる。当日の様子は、公開されているアーカイブ動画やこのイベントのツィート( アクセシビリティの祭典 2018 #accfes – Togetter )をみれば、よくわかると思うので、省略。
本当は全日参加する予定だったけど、当日、別の用事が入ってしまったので最後のほうの3時間強だけの参加になってしまった。それでも、非常に濃厚だったので、この3時間だけでもかなり充足感はあった。会場について早々にイスカンダルからの通信がはじまったので、会場の雰囲気にまだ慣れていない私は、度肝を抜かれた、というか、とんでもないところにきてしまった、感があった。会場に向かいながら、流れてくる #accfes のツィートを確認していたけどと、会場に着く前には、視覚障害、肢体不自由、聴覚障害のある方がいろいろな方法や方式で情報を入手し、発信される現況のセッションなどあったりして、直接、その場でその話を見ていれば、かなりの衝撃を受けたのあろうなと思う。そういう機会を逃してしまったことが本当に悔やまれる。全日参加していたら、刺激受けすぎてヘロヘロになってしまっただろうか。
私は、どちらかというと、アクセシビリティをやらなければならないという雰囲気の環境にいる(私自身の想いはともかく)。しかし、この祭典では、技術者が中心になっているイベントだから、ということもあるかと思うけど、技術的にいろいろとアクセシビリティ上の課題を解決できるようになった未来を、もっとこっちに引き寄せようとしている明るさを感じられて、そういう空気にいるだけでも元気をもらったような気持ちになった。前者と後者では、問題の捉え方も深さの点からも自ずと変わってくるはずだと思うし、その日もどう感じた。当日は間に合わなかったけど、@caztcha さんのお話(参考:発表の概要)を聞くことができていたら、その点、もっと痛感したのだろうか。
会いたいと思っていた方の何人かには、辛うじて挨拶することができたけど、ほとんどの方には遠くから「おおぉ、あの方があの方か」と認識できるに留まってしまった。時間がなかったという言い訳もあるけど、人見知りなので気後れしてしまった、というか、それを振り払う小さな勇気を振り絞る時間がなかったというのが正直なところ。うーん、書いていて、これが一番残念であったかもしれない。
私は、基本的に「図書館の障害者サービス」の人間ですが、セッションの話や会場の雰囲気を感じつつ、ここで語られているアクセシビリティ、ウェブアクセシビリティについて、どのように受け止めるべきかもいろいろと考えていたりした。
私は「図書館の障害者サービス」以外に他にもいろいろなコンテキストに関わるようになっている(ような気がする)。
・点字図書館のサービス(視覚障害者への福祉としての情報提供サービス)
・大学の障害学生支援
・アクセシビリティ
・ウェブアクセシビリティ、
・インクルーシブ・・・(は、今のところない「かもしれない」けど、視野に入りつつ「あるかもしれない」)
他の人に説明しても、「これ、一緒でしょ」と言われて、なかなか理解されなくて、確かに本質的には同じはずだし、目指すところも同じはず。実際にいろいろ重なる。しかし、重ないところもある、ような気がする(人の交流も)。先のエントリで書いた大学図書館の障害者サービスの話は、そんな例の1つ。 複数のコンテキストに関われている自分は、多分、幸せなことなのだろうとし、嬉しい悩みなのかもしれない。でも、感じるだけではだめで、それぞれのコンテキストの違いを意識して、重なるところを軸に他のコンテキストを考えないと、一方の視点から一方のコンテキストを評価するだけになってしまうので、ごにょごにょごにょ(結論が出ていない)。
話が逸れてしまったけど、この祭典で感じたある種の「敗北感」は癖になりそう。来年こそは全日参加したい。
参加できなかったセッションは、あとで観よう。