6月11日に特定非営利活動法人エファジャパンによるエファ・シンポジウム2022 戦争・紛争・大規模災害、そして復興期において 子どもたちに図書館ができることにオンラインで参加しました。
対面とオンラインのハイブリット開催で、会場の様子はオンラインからはわからなかったのですが、オンラインでは40人ほど申し込みがあったそうです。
戦争、戦後の復興期に図書館ができること、というのがシンポジウムの大きなテーマでしたが、最初に鎌倉幸子さんが報告されたエファジャパンによるカンボジア農村部で行っている障害児への教育支援が全体の縦軸になっていましたので、続く野口武悟先生や木村瞳さんの講演も、鎌倉幸子さんの発表スライドを読み返したり、カンボジアの事情をwebで調べたりしながら、カンボジアの事情と絡めながら拝聴していました。
シンポジウムのスライドが公開されるのかは現時点では不明ですが、鎌倉幸子さんの発表は、エファジャパンの広報誌えんぱく 64号の「障害があるからこそ学びたい」と「新たな取り組み」に概ね沿ったものだったでしょうか。
1990年代まで続いた30年に及ぶカンボジアの内戦、特に1970年代のポルポト政権の行った虐殺によりカンボジアの知識人・教育者層が払底されてしまったことは、その世代から十分な教育を受けられない下の世代にも当然、影響が出てしまう。それは識字能力を持てないということに繋がり、読書を困難にさせる大きな障壁になる。
野口先生が「障害者サービス」の考え方として、「障害者」という特定の層を対象としたサービスではなく、「図書館を利用するうえでの「障害(障壁)」の除去に向けた環境整備とサービスの提供」という話をされています。「図書館利用の障壁」の裾野の広さを考えると、この「図書館利用の障壁を除く」という定義は、本質的な図書館の定義といってもよいかもしれません。
エファジャパンは、そのカンボジアで立ち遅れている障害児の教育支援を行い、その中で図書館の役割を考えている。木村瞳さんは、戦争をテーマとした児童文学を紹介される中で読書が子供に与える力というものを確信をもって話されている。
私自身、果たしてどこまで図書館のその本質的な役割に向きあってこられたか、また、図書館の本質的な部分の力や読書という行為がもたらす力をどこまで信じることができているのか。シンポジウム後、我を振り返って悶々としている。